葉っぱすけのやるキッ木 |
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写真、本のメモ、雑記など……。
.................................................................................... 撮影機材 RICOH GR Digital ほか '''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''' rink free . Sorry , Japanese only . by 葉っぱすけ
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ねばり / 2、構図の考え方( S曲線 )2007年04月30日(月)06:00
とりあえず「写真撮影の前に、もう一度」の 10回目。
「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・S曲線( 複数の曲線 ) ![]() 撮影:RICOH GR Digital / ※Adobe Photoshop S曲線の 3回目。 土手の斜面に力強く張った大木の根。 (切り取られた空と根の曲線 ) ということで、復習。 ・S曲線 (効果:柔らかさ、優しさ、リズム/例:楽器、蛇行、稜線、体の線、花びら) 「写真撮影の前に、もう一度」が目指すのは、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 脳のパターン認識、反射的に表現。 (次回に続く ) 道路 / 2、構図の考え方( 対象 )2007年04月29日(日)06:00
とりあえず「写真撮影の前に、もう一度」の 9回目。
「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・対象 (効果:焦点、リズム/例:鏡像) ![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 対称的な面白さがあれば、 2つの事象(主役)を上下対象、左右対称などのシンメトリーに。 単純に並んだだけだと面白くない。 主役以外のものを工夫して動きや変化を出す。 (上写真はシンメトリーの例には少しキツかっただろうか…… ) 「写真撮影の前に、もう一度」が目指すのは、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 脳のパターン認識、反射的に表現。 (次回に続く ) 田んぼの風2007年04月28日(土)17:35
![]() 撮影:RICOH GR Digital / ※Adobe Photoshop 線路 / 2、構図の考え方( 対角線+S曲線 )2007年04月28日(土)06:00
とりあえず「写真撮影の前に、もう一度」の 8回目。
「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・対角線+S曲線 ![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 対角線とS曲線、奥行きと柔らかさ。 「写真撮影の前に、もう一度」が目指すのは、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 脳のパターン認識、反射的に表現。 (次回に続く ) 自転車 / 2、構図の考え方( S曲線 )2007年04月27日(金)06:00
とりあえず「写真撮影の前に、もう一度」の 7回目。
「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・S曲線( S曲線活用形 !? ) ![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 前回とり上げた、 S曲線 の活用形。 夕陽が路面に落とした自転車の影。 タイヤと影、マンホール、曲線つながり。 (優しい線に見えるだろうか ) とにかく、復習。 ・S曲線 (効果:柔らかさ、優しさ、リズム/例:楽器、蛇行、稜線、体の線、花びら) 「写真撮影の前に、もう一度」が目指すのは、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 脳のパターン認識、反射的に表現。 (次回に続く ) 人力車 / 2、構図の考え方( S曲線 )2007年04月25日(水)06:00
とりあえず「写真撮影の前に、もう一度」は、7回目。
さあ、「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・S曲線 (効果:柔らかさ、優しさ、リズム/例:楽器、蛇行、稜線、体の線、花びら) ![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 直線上に配置すると、すっきり感が得られる場合もあるが、単調になる嫌いもある。 S字は、丸や曲線的な感じが優しげな感じが出る。 ふくよか、柔らかい、丸みなどの温かさや美しさを醸し出す。 女性の体の曲線は、優しく、柔らかい印象を受ける。 ![]() マルもS曲線の親戚 ※上写真は人力車の車輪を重ね合わせることで、 曲線の優しさとリズムを出した。 (S曲線の仲間と言えなくもない……) 撮りたい対象に曲線が含まれていたら「エス!」だ。 「写真撮影の前に、もう一度」が目指すのは、 撮りたいものをシンプルに撮る「シンプル思考撮影術」。 お付き合いいただけたら幸甚。 脳のパターン認識レベルに高め、反射的に写真表現する。 (次回もご覧いただきたい ) 映画:「東京タワー」2007年04月24日(火)07:59
映画「東京タワー」を観てきました。
![]() 映画館のパンフもGOOD! / 撮影: Canon EOS-Kiss DN / SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 映画から得られるもの 人はいずれ死ぬ。 大切な人と過ごす時間は、自分と相手が一緒に重ねるもの。 一人では創り出せない大切な時を、一緒に心に留めていく。 やがて惜別の涙を流す日が来ることを知っていても。 この映画はいい。すぐに観に行くといい この映画は、よかった。 また、時が経ったら、DVDで観ようと思う。 泣ける映画を狙った作品ではない、拘りようが感じられた。 不覚にも、涙がこぼれた。 画づくりから、道具類、一つ一つシーンに、思い入れが感じられた。 監督(松岡錠司)も脚本家(松尾スズキ)も、美術関係のスタッフほか、 皆がいい仕事をしていると思った。 誰もが似たり寄ったりの体験をし、 その程度の差こそあれ、苦い後悔の念を感じ、 再び日常生活に埋没していく。 わかっているなら、普段から大切にすればいいようなものだが、 なくしてしまってから、初めて気づいたような気がするのだ。 知っていたのに、そうしなかった人は後悔する。 親子、家族、夫婦、兄弟、友人、知人……。 煩わしさや、小さなことに拘って、大切なことを忘れてしまう。 思いやりや優しさが伝わらなくなってしまう、伝えなくなってしまう。 疲れて、面倒になって、いやになってしまう。 「ありがとう」や「ごめんね」も、やがて日常に消え去ってしまう。 後悔したことさえ、忘れ去ってしまう。 ときどき思い出すこともあるかもしれないが……。 いま、やるのか、それとも、やらないのか? 決めるのは、いまの自分自身だ。 きっと、どれだけやっても後悔するかもしれないが、 やらなかったことを後悔するのは、未来の自分自身だ。 それにしても、言ってしまったことを後悔したり、 言わなかったために後悔したり……、 人生は幾つになっても、いろいろあります。 向こうの朱 / 2、構図の考え方( 1+1=田 [ 田んぼの田 )2007年04月23日(月)06:30
「写真撮影の前に、もう一度」は、6回目。
「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・1+1=田 [ 田んぼの田 ] (効果:強さ、安定、焦点、リズム/例:建物、窓、段) ![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 公式「1+1=田」である。 「いちたすいちは、たんぼのた」と読む。 写真撮影の重要な公式だが、学校では教えていないだろう。 横線は安定感、縦線は整然とした印象を与える。 縦線と横線を合わせれば、焦点が生まれる。 配色や○△×などの形を組み合わせれば、収まりつつ変化のある演出に。 ![]() 黒い縦線の整列 ※上写真は主役の花を縦線の効果によって整然と収めつつ、 黒と赤で色の対比を演出することで単調さを消した。 (対象の手前に柵があった……ともいう) 撮りたい対象に縦線や横線が含まれていたら、 安定感を意識しつつ、対象の面白さを増幅させるポイントを 冷静に探し出して取り入れることだ! 写したい主役を柵に邪魔されたら、 それをうまく生かす方法を瞬間的に探ればいい! 「写真撮影の前に、もう一度」は、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 お付き合いいただけたら幸甚。 脳のパターン認識レベルに高め、反射的に写真表現する。 (次回に続く ) 小鏡 / 2、構図の考え方( Oui [ ウィ ] )2007年04月22日(日)09:04
ボンジュール! 皆さんこんにちは。
「写真撮影の前に、もう一度」の 5回目。 今日も「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・Oui , Oui , Oui!( Oui [ ウィ ] の三段活用形 !? ) ![]() 撮影:RICOH GR Digital / ※Adobe Photoshop Oui の活用形の 3回目。 一目瞭然、バイクのミラーに映った公園の一コマ。 多くの人が一度は写してみることだろう。 「あなた」の視線は、ミラーの映像に注がれた。 それは何故だと思いますか? c’est clair! そのとおり! それでは復習。 ・Oui(ウィ) (効果:焦点、注目/例:穴、窓、トンネル) バックミラーやカーブミラーには「 Oui! 」で反応。 夜の水鏡 / 2、構図の考え方( Oui [ ウィ ] )2007年04月21日(土)06:30
ボンジュール! 皆さんこんにちは。
「写真撮影の前に、もう一度」は、前回の復習。 さあ、「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 ・Oui , Oui!( Oui [ ウィ ] の二段活用形 !? ) ![]() 撮影:RICOH GR Digital / ※Adobe Photoshop 前回の Oui 、活用形。 夜の雨上がり、路面の水たまりに映った電飾。 自然と「あなた」の視線は、水の中の文字に注がれたことだろう、それは何故か? 答えは、ボクが「作品を見た人を、主役「O」(枠内のイメージ)に集中させるぞ!」と、 念じながらシャッターを押した写真だから。 (念ずれば通ず! ) それでは、復習。 ・Oui(ウィ) (効果:焦点、注目/例:穴、窓、トンネル) さあ、6月の梅雨のシーズンに向け、いまから水たまりの反射光に注目! 水たまりを「 Oui(ウィ)〜! 」で撮ってみよう。 (明日も Oui の活用形を紹介) 接近 / 2、構図の考え方(Oui [ウィ] )2007年04月20日(金)06:30
ボンジュール! 皆さんこんにちは。
(……欧米か? フランス語か !? まあまあ、理由はすぐ後で。) 「写真撮影の前に、もう一度」は、第3回目。 今回も「構図の考え方」を、脳にきっちりインプット。 2、構図の考え方 ・Oui(ウィ) (効果:焦点、注目/例:穴、窓、トンネル) ![]() 撮影:RICOH GR Digital / ※Adobe Photoshop 穴から見える風景や人物には、自然に目が引かれてしまうもの。 窓を絵画の額縁に見立てれば、額装された絵画のような写真の演出も可能。 「Oui(ウィ)」の発音では、唇を「O」の形に丸める。 穴や窓の形を唇の形「O」と考え、そこに注目する。 主役を「O」に収め、見る側の「集中」を促す。 脳内イメージでは、対象「O」を画面いっぱいに収め、 「O」の位置や大きさを臨機応変に判断する。 足しすぎないことだ! 主役「O」の周辺情報を、絵画の額縁だと考えてみる。 額縁が目立っては主客転倒、要注意だ。 ![]() 注視点「O」…… ※「O」の形を臨機応変にイメージし、縦横・大きさ、範囲を変えて撮ることが肝要。 (縦位置写真&縦方向に伸びる光線の加減を生かす……) さあ、トンネルや窓外の風景は、 瞬間的にフランス語の「Oui(ウィ)〜! 」を連想。 口の形を「O」にして、反射的に自分の脳に働きかけるのだ。 「作品を見た人を、主役「O」に集中させるぞ!」と。 近づいたり離れたり、上下左右に移動したり、カメラを振ったりすることも忘れない。 「写真撮影の前に、もう一度」は、 撮りたいものをシンプルに撮るための「シンプル思考撮影術」。 お付き合いいただけたら幸甚。 脳のパターン認識レベルに高め、反射的に写真表現する。 (第4回は何だ!? ) 『石に泳ぐ魚 』2007年04月18日(水)06:30
書名:『石に泳ぐ魚 』/ 新潮文庫
著者:柳 美里 ( Yu Miri ) 版元:新潮社 価格:¥400 好み:★★☆☆☆ ![]() 本書から得られるもの 美しくないものは、美しくない。 醜い生き方に拘って生きるのは、よそう。 愛と憎悪、どちらから力を得るかは自分次第だ。 人が生み出す作品には、少なからぬモチーフがある 一個の人間の内(うち)に生じる感情は、死ぬ瞬間まで千変万化する。 作家が文字に表す瞬間までの体験や見聞が影響し、 熟成され、パターン化された記憶や反応が表出する。 作家の考え方や捉え方は、どのような作品にも現れる。 本書の著者は、今後も「なぜ生きるのか」を追究し続けるのだろうか。 本作のモデルとなった韓国人女性が出版差し止めを訴えたこと、 出版化が法廷で争われたことは記憶に新しい。 本作は改訂版として出版された後、文庫化されたものである。 原告から指摘された修正箇所に、手が加えられている。 本作は読者の感情を揺さぶる力を持っている、と感じた。 でも、修正がどこかに影響したのか、 『命』を読んだときに感じた、著者の独特な表現方法のバランスが 崩れてしまったように思えた。 著者が主役にさせるのは、自分に都合のよい倫理感に基づいた思考と、 他人への配慮を欠いた振る舞い。 傷つけたり傷ついたり、礼を欠いて後悔したり、 そうかと思えば非礼を働いても平気でいたりすること。 主役の心中には、葛藤、矛盾、閉塞、逼迫、激情、妬み、嫉妬、 誹(そし)り、裏切り、愛憎などなど、感情の嵐が吹き荒れる。 主役にそうさせる理由は、主役の外側にある。 主役は自分の外側の、社会や人間や仕組みに原因を求める。 著者独特の表現方法があり、それが構成上のバランスを保っているが、 主役に行動させる理由を取り去ると、主役の行いは愚行に思えてしまう。 本書のどこがどのように「修正された」のかは知らないが、 そんな印象を持った。 それでも、きれい事で済まさずに向かっていくような、 感情を揺さぶるものを感じる。 「芸術家」は、他者がやったことのないないことをやる。 他人の視線や評価を気にせず、表現してみせる。 存命のうちに評価されたり、評価されなかったりする。 それでも、独自の新しい表現をする。 それが、芸術作品として評価される。 その一方で、いつの時代にも、倫理と正義を標榜し、 「芸術家」を否定する「評論家」が現れる。 さて、何十か所も修正が施されたという本作は、 果たして何十年後かに読み継がれる一冊になっているだろうか。 事実と虚構の渾然一体化 本作に限らず、「モデル小説」が引き起こしたもめ事は、枚挙にいとまがない。 従来の判例からすると、 表現の自由はプライバシーを侵害しない限りにおいて保障されるらしい。 だから、日本で表現することは完全な自由を持たないのかもしれない。 法廷では、表現者側は事実を公表して何が悪いのかと主張し、 「晒された」側は、公表されると社会的にも精神的にもダメージを受け、 耐え難い苦痛を受けることになる(から止めろ)という。 それぞれの立場で、公平・公正を主張する。 完全に公正なことは、世の中にどれくらいあるのだろうか……。 事実のエキスをもとに作り上げた虚構の表現。 事実と虚構を渾然一体化し、文学作品に昇華させる。 しかし、受け手が虚構と捉えなければ、問題になる。 事実に、事実でない「毒気」を加えて増幅された虚構は、 「毒気」あふれた実在そのものであるという誤解を招き、 事実のモデルとなった個人が「毒気」を帯びているという誤解は、 モデルとなった個人の迷惑、不利益に繋がるというのだ。 人間は誰しも「毒」みたいな部分を持っているものだ。 自分の「毒」を表出させないように律して生きている人もいれば、 自分の「毒」に冒されておかしな行動する人もいる。 自分の「毒」がどれほどなのかという評価は、人それぞれだ。 自分の「毒」を増幅させて社会に晒せば、自分が「毒」の副作用に苦しむし、 他人の「毒」を増幅して強力な「毒」を作りだし社会に晒せば、 自分の「毒」にも増して強力な「毒」の副作用に苦しむことになる。 人間の深層心理を嗅ぎ取って、他人の「毒」をさらけ出さずにいられない人と、 他人の「毒」をのぞき見て楽しむ人がいる。 そうかと思えば、自分の「毒」を棚に上げて叩く人がいる。 (※叩く人が、モデルにされて訴訟を起こす人ということではない。) 最後は各自の倫理観に基づく判断か 芸能人の醜聞から近所の人の噂話まで含め、他人の話を面白がる人は、 いい人間なのか悪い人間なのか? 「あなた」はそういう人と親しくつき合いたいか? いずれにしても、人間は好奇心の塊だから、結局いい人間も悪い人間もないのだろう。 そこは、各自の倫理感に基づく判断になるのではないだろうか。 「モデル小説」や「プライバシーの侵害」そのものを研究する人がいる。 個々の事例においてプライバシーを侵害しているかどうかの判断は異なる。 そして、「モデル小説」が読者の心を揺さぶるものかどうかは、また個別である。 写真の場合はどうなのだろう 脱線するが、目の前にあった事物を、あるがままに撮影して、 それを公表することに何の問題があるのだ、という一般論を前にしたとき、 ボクは何と言うだろうか……。 或いは、コラージュ作品で、写真Aと写真Bをもとにしている場合、 合成した虚構の写真Cは、部分は事実であっても全体としては事実ではないから、 (作品全体として)写真Cを問題視するのはおかしい、 と言うことを語る人がいたらどうだろう……などと思ったり。 例えば、「あなた」の全裸写真に、その辺のノラ猫の顔がつけられたらどうだろう。 撮影者との関係から、体の部分が「あなた」のものだと知れわたるのは時間の問題。 撮影者は「あなた」の全裸でないと言っても、 マスコミは「あなた」の全裸らしいと決めつけて、そう扱い始めたら……。 「あなた」が全裸写真の当事者だったらどう考えるのだろうか。 ボクは個々の事例で判断が違ってくるのではないでしょうか、 などと言うのだろうか。 それは、ニュース番組で、微妙な問題に対するコメントを求められて、 一般論をもったいぶって言う人のようだ。 バランス感覚を備えた、気の利いたコメントのようでいて、 内容はどっちつかずの間抜けなコメント。 恣意的に傷つける狙いがあるかどうかとか、 その表現における必然性があるのかどうかとか、 公表するに値するのかどうかとか、侮辱罪になるのかもしれませんね……などと、 いろいろと理由を考えるのだろうか……。 今は、ボクはそれぞれの倫理観に基づいて決めることだと思う。 いずれにせよ、これから先も、人の創作欲が枯れることはないだろうし、 人が作品から受け止める感受性が枯れるということもないだろう。 創造し表現する人は存在し、それを受け止める人も存在し、 それをよしとせずに叩く人も存在し続けるのだろう。 射的 / 2、構図の考え方(三角形)2007年04月17日(火)06:30
「写真撮影の前に、もう一度」の第2回目は、
前回に続いて「構図の考え方」です。 (……って、連載めいたタイトルを付けたりして !? ) 2、構図の考え方 ・三角形 (効果:安定感、高さ、落ち着き/例:山、屋根、塔) ![]() 撮影:RICOH GR Digital 撮りたいものが三角形だったら、 ファインダー内を横線で3等分するイメージを働かせ、 三角形の頂点の位置を臨機応変に変える。 三角形は、安定感が出るが、落ち着いて面白くない嫌味もある。 三角形を意図的にセンターから外す、三角以外の要素を加える、色彩で変化をつける。 近づいたり離れたり、左右に移動したり、上下にカメラを振ったりしてみる。 ![]() 三角形の部分……くどい!? ※上写真の「三角形の安定感」に添えたアクセントは、 画面上部にぶら下がっているアイドル(!?)の下敷き。 三角形を長方形で受け、変化を出している。 (……って、たまたま下敷が吊されていたわけで……後づけ理由ですね) 「写真撮影の前に、もう一度」は撮影の常識ですが、 軽く再確認してもいいという人にお付き合いいただけたら幸甚。 目標は、これらを脳のパターン認識レベルに高め、反射的に写真表現をすること。 初心者の方も、参考にしていただけると嬉しい。 (……と言いつつ、ボク自身の意識を高めている。取り敢えず、2回続いた……) 届け!2007年04月16日(月)06:30
![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM / ※Adobe Photoshop 夜桜(3) / 2、構図の考え方(対角線)2007年04月15日(日)02:20
ここに来て、SIGMA レンズの故障があったけれど、
レンズと撮影について改めて考えるいい機会になった。 大活躍だったSIGMA レンズに悪い印象を与えてしまうのは、 本意ではないし格好悪い……。 今後、暫くの間は書籍や雑誌などで確認しながら、 次の点について考えながら撮ってみたい 1、レンズの特性(f値、絞り、広角・望遠、ズームなど) 2、構図(構図、画面構成、角度、位置) 今のところ思いつくのは、そんなところだが、 再確認するなかで思いつくことがあれば、そのつど修正したい。 レンズによって写りが変わるのは楽しいことだ。 発色やシャープさや、癖などの違いを熟知して、 そのなかから撮影に応じて使い分けられたら理想的だ。 赤っぽいとか黄色っぽいとか、フレアが多いとか、周辺光量がどうだとか、 大切なのだろうが、そういうことはそういうことを考える人にお任せ。 ボクもレンズ選びのときには、ほかの人の使用感を参考にさせてもらうことがあるが、 実際問題、自分で使ってみなければわからないのだ。 さらに理想的なのは、多くのレンズを揃え、取り替えて試すこと。 資金が許さないので、買いまくるというのは難しい……。 そこで手持ちのレンズの癖を再確認して、 長所を生かすようにしたいと思う。 反射的にパターン認識して処理できるレベルを目指したい。 力を抜いて、弾力的に取り上げていこうと思う。 そして、「シンプル、簡潔」を心がけていきたい。 長ったらしいと、パターン認識に適わない。 それに、考えすぎてストレスになってしまっては、つまらない。 それでは、記念すべき1発目。 2、構図の考え方 ・対角線 (効果:奥行き、動き、リズム/例:軌跡、編隊、尾根、空) ![]() 撮影:RICOH GR Digital ![]() 以上である。 語句にしてみたら、やはり当たり前すぎる気がしたことと、 今回は1回目ということもあるので、「対角線」を引かずに、三角形で表現してみた。 今後はシンプル路線に徹し、どんどん簡潔にしていこうと思う。 それでも、対角線効果によって「簡易座敷設置タイプのお花見屋台」へと 飲んべえの花見客を誘うメニューの奥行きと懐の深さが出ているかも。 (意味が違うか……) ワンカップをぐっと煽るか、それともあなたは焼酎派? 取り敢えずビールで乾杯されます? 酒のつまみはサザエの壺焼き、焼き鳥、おでん、みそ田楽、煮込みもアリのエトセトラ……。 「対角線」は、本当に奥行き感とリズムを感じるなぁ !? ……。 写真を撮っている人にとっては当たり前の常識だと思いますが、 撮影の基本を軽く再確認してもいいかなぁと思う人はお付き合いいただけたら幸甚。 初心者の方にも、参考にしていただければ嬉しい。 (……と表明することで、実はボク自身に継続させようとしていたりして……) 最終的には、これらを記憶し、何度も撮って、 反射的に写真表現を選択できるところを目標としたい。 映画:「蟲師」2007年04月14日(土)14:17
映画「蟲師」を観てきました。
![]() 映画館の電飾 / 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM 映画から得られるもの 多くの事象はバランスの上に成り立っている。 「映画どうだった?」と聞かれたが、説明しにくい作品だった。 湖沼や清流、雪深い山村など、春夏秋冬、花鳥風月といった映像は美しかった。 蟲師の世界は、まだ人々が「人間は自然の一部である」という実感を持ち 自然を畏怖し、自然を敬い、自然と共存していたころの、 日本人の意識を描いてみせたのではないだろうか。 (などとはいっても、漫画の原作を読んでいないので、 そちらを読んだら違う印象を得るのかも。) ちなみに、蟲は虫ではなくて、生命体らしい。 きっと、原作のマンガを読むと、面白いのだろう。 原作は文化庁メディア芸術祭のマンガ部門優秀賞を受賞 原作は漆原友紀(うるしばら ゆき)のマンガ。 「蟲師」は、2003年度(第7回)文化庁メディア芸術祭のマンガ部門優秀賞を受賞した。 同年大賞作品は比嘉慂さんの「カジムヌガタイ−風が語る沖縄戦−」講談社刊だった。 昨年(平成17年)優秀賞には、三田紀房さんの「ドラゴン桜」などがあった。 文化庁メディア芸術祭のホームページを覗いたら面白かった。 映像作品には、コンピュータで描かれた動画などもある。 それぞれの受賞作品からは、作者が傾注した制作意欲が伝わってくる。 楽しめるのは、刺激的な作品だけでなく、各賞の「贈賞理由」に書かれた言葉。 評者が言葉を探し、工夫を凝らした文章や、何とか書き上げた文章など、 (なるほど、そんな評し方があるのか……)などと思いつつ読むと楽しい。 仕組みに取り込まれ、失われる自然と人間 人がカネを生み出す資源と見なした自然環境は、過剰に関与されて死んでいく。 自然に依存している人間は、やがて自然を食いつぶす。 ちょうど人間の体内をむしばむ病気のように……。 美しい場所は、何千年ものあいだ美しくあるかもしれないし、 自然の猛威によって崩れ果て、なるようになっていくのだろう。 地球全体で見れば、美しい場所もあるし、 荒涼な大地が剥き出しのまま風雨にさらされている場所もある。 例えば、人は治水によって自然の一部を制御し、農作物を安定して得られるようになった。 治水を事業とする仕組みができると、治水事業そのものを目的とする人が現れた。 昂じた治水は自然を破壊した。 過剰に伐採された森林は保水力を失い、別の災害を招いた。 かつては、スギやヒノキは孫の代に家を建て替える必要に備え、 柱や棟木に使う目的で何十年先を見越して必要な本数を考えて、裏山に植えられた。 その後、都市で木材が必要になると、国をあげて山野に木が植えられた。 材木がカネになる仕組みができると、雑木林は伐採され、山は針葉樹で覆わた。 カネが絡むと、山を仕切る業者間の利害関係を収めたり、 権益の調整をしたり、労働者の確保や配置を行う者が現れた。 やがて国が関与を始め、地域の人がつくった仕組みを変え、 制度化し、規制を加えるようになった。 やがて、仕組みの維持や運営、それ自体が目的となっていく。 建材の変化や、海外の安価な木材によって、需要が減り、 カネが繋ぎ止めていた人は離れ、管理しきれない山林は荒廃している。 仕組みを維持するためには、助成金も必要になる。 コメの生産だって同じだ。派遣社員制度の枠組みも……。 河川や林野に限らず、燃料資源、水産物や農産物、土地や建物など、 人が関わるところには、カネが絡み、ある程度の調整が必要となる。 官公庁の組織図を眺めると、国家の仕組みを維持するために必要な 治安維持から始まって、すっきりとまとまっている。 更に、下位組織の局や委員会、何とか機関や何チャラ機構、協会、協議会……。 その数の多いこと……、組織運営を限られた人員で効率的に行うには限界がある。 これらに関わる人員を確保し、人件費を支払い、維持していくためには、 これまたカネがかかるだろうということが、想像に難くない。 ある一定の必要が満たされ、役割が終わったものは解体していかなければ、 仕組みを維持するだけでも「ハンパない」カネがかかる。 (ハンパないって、耳に面白い言葉だが、普段使わないので使ってみた!! 同世代の異業種の彼が自然に使っているが、自分が使うのは何やら気恥ずかしい。 「ハンパない」「ハンパない」ウハハ、スッキリ。これで3回も使った!! …… 。) (話がどんどん大きくなっていくなぁ……。) 日本のような大陸の外れの島国は、食料確保の問題は深刻だ。 外貨を稼ぎ、世界規模の視点で、各国との交渉が必要となる。 でも、組織や仕組みばかりをたくさん作り、そこに働く人が増えても、 組織や仕組みの数が多すぎて、担当者の掛け持ちによる運営は限界。 掛け持ち委員会は準備不足、一定期間で異動する担当者の知識は深まらず、 決定責任の所在もあいまい。 仕組みを維持するためだけに、反対者のガス抜きを行い、 合議の手続きをふんだと思わせて納得させる手法なのか……。 こんな決定の仕方に疑問を感じなくなってしまったら、 いつの間にやら憲法改正、子どもの世代は徴兵制、 防衛の名目で戦争仕掛けるどこかの国と足並みそろえ、 右向け右と言われれば右を向き……。 戦争はあらゆるものを焦土化し、関係を壊し、多くの生命を奪う。 一方で衛星兵器やハイテク兵器の技術を通して、 日用電化製品などの技術の飛躍的な進歩を促すかもしれない。 バイオ兵器の研究や外傷を負った兵士の治療は、医療技術の飛躍的な進歩を促すかもしれない。 戦争を通じた性能評価テストや人体実験……。 戦争によって生まれた技術が、人の生活を豊かにしていることは否定しきれない。 カネになる仕組みを得ながら、枠組として定期的に仕掛けられる戦争。 カネをかける舞台をつくろうとする人が、たくさん出てきたら大変だ。 あるいは、そう遠くない時代に、想像もつかないバイオ兵器が使われて、 地上の生物は皆殺しに遭う……、などということにならないとも限らない……。 適当な思いつきを書き並べたが、結局バランスということだろう。 いいも悪いも、バランスの上に成り立っているのだ。 映画の登場人物が、橋大工になると言って故郷に帰っていったが、 現代では国の資格認定制度が花盛り。 不要とは言わないが、あれもこれもといった過剰な資格認定制度というのは、 いかがなものか……と思った。 ……というわけで、映画「蟲師」の内容は、 ヒマな時間にボウっと考え巡らせる材料になったりしたのだった。 映画:「蟲師」 監督:大友克洋 主演:オダギリジョー、江角マキ子、大森南朋、蒼井優、りりィ、 李麗仙、クノ真季子、守山玲愛ほか、チュー・リン、寺島しのぶ など 映画やアニメのストーリーなどが気になる方は、 映画「蟲師」公式サイト http://www.mushishi-movie.jp/や、 アニメ「蟲師」公式サイト http://www.mushishi.jp/index.htmlをご覧あれ。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、修理発送2007年04月12日(木)08:00
![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon EF24-105mmF4L IS USM SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、故障、修理発送 修理依頼の連絡、状況説明と依頼書準備、レンズの梱包、発送。 ただ、それだけの手続き。 本日、SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC を修理発送へ。 梱包前に、お別れの姿を写しつつ、 なぜ、SIGMA はカメラ・レンズを作るのだろうか、……と思う。 その答えは、レンズをつくる会社だから作るのであり、 そこに働く人がいるからデジカメなども作っては売るのだ。 もう……、レンズ選びの際に、純正レンズと迷ってしまったじゃないか……。 Canon ユーザーのボクは(ほらほら、SIGMA なんだから)なんて思ってみる。 SIGMA ユーザーのボクは(便利で写りもいいレンズだった)と思うことにする。 レンズメーカーの意地、幻想、単に寂しい別れの日だ。 脆さと煩わしさの前に、性能曲線や描写性能のデータは空しい。 今回、トータルで修理にかかるコスト(時間、金)は、 ほとんどサンク・コストになるだろう。 それでも修理に出そうとしている矛盾……。 この行為を客観視すると、ボク自身が、もはやSIGMA のレンズに対して 期待や拘りを失ってしまったことを認めるのが、嫌なだけなのだ。 若造のころ「道具じゃない、腕だ」と、誰かに感化された。 「金さえあれば純正レンズ」という考え方を嫌った。 誤魔化さずに現実を直視すれば、 品質管理への疑問と簡単で不愉快な手続きを得た。 技術の腕を磨き、技術を支える道具の性能も追究される。 どちらが大切かではなくて、どちらも大切である。 そして無いときは、無いなりに工夫するのだ。 道具じゃない……って言っていた人が誰だったのか、その顔を思い出した。 このレンズが2年間、十分に楽しませてくれたことは、忘れるな……。 修理から戻ってきても、箱から出してやるのを忘れないようにしよう。 使いようのないものは、使おうとしなければいい。 妙な期待をするから、心が穏やかでなくなるのだ。 まあ、いいじゃん。 伝わらないものが、伝わらないということはいくらでもある。 お花見2007年04月10日(火)15:00
![]() 撮影:RICOH GR Digital おでん屋台のような四角い鍋の中で、こんにゃくと芋が、 グツグツ、グツグツと音を立てて煮えていた。 白い湯気が立っては消え、旨そうな醤油の香りが辺りに漂った。 香具師のおばちゃんが一人、屋台のコンロで芋を煮ていた。 所作にムダはなく、その道に長いことが伺えた。 いくつもぶら下げた裸電球の光が、顔に陰影をつくっていた。 皮膚に寄った無数の細やかなシワの影。相貌に遺された時間の痕跡。 おばちゃんに「写真撮らせてもらえますか?」と聞くと、 「恥ずかしいからぁ。やめれぇ」と照れて、相貌を崩した。 「私なんかぁ」と言い、芋が入っていた段ボール箱の切れっ端で顔を隠してしまった。 (ええ!? おばちゃん、オトメチックやん) ボクは「うん、ごめんね」と言って、写真を撮らずにその場をあとにした。 その晩のちいさな出会いを記憶に刻むように、 お花見の屋台裏でカメラのシャッターを押してみた。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、故障2007年04月08日(日)23:27
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、露出連動、故障
少し前、EOS-Kiss DN にSIGMA 18-50mm F2.8 EX DC を付け、 内蔵ストロボで人物撮影をした。 撮影の途中、露出f5.6 に絞ると白飛びしてしまい、うまく撮れない。 露出補正をしたり、絞り開放で撮影したり、マニュアルで撮ったり……。 案の定、撮影した画像は、いい表情のカットを選ぶどころではなかった。 露出オーバーやアンダーといった失敗カットが量産されただけだった。 失敗したくない撮影で失敗したのは、デジタル一眼レフを使い始めて以来2回目。 いろいろ考え、試した結果、原因はSIGMA レンズにあるようだ。 (修理に出す前なので、正確性に欠けるが、 他のレンズではボディ側の絞り設定はきちんと連動した) レンズの露出機構が働いていていないと考えられる SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC の絞り値 を変えて撮影した 絞り値 f2.8 絞り値 f5.6 絞り値 f10 絞り値 f22レンズの露出機構が働いていない! SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC は、 ボクのなかでは信頼性の低いレンズになってしまった。 このレンズを使って、大切な撮影をする気にはなれない。 2度あることは3度あるような気がしてならない。 週明けに、いちおう修理依頼をしてみるつもりだが……。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、修理はムダ!? 昨年(2006年)末にズームリングと鏡筒が故障したので、SIGMA に修理に出した。 鏡筒のガタつきやズームリングの修理、ピント調整も依頼した。 修理した結果、ほかの部分が働かなくなるというのは、どうなのか。 まさか、まさかの展開。 第三者になって自分に話しかけてみた。間抜けな話であるが……。 「これから先、何度修理してもムダかもね」 「そうだね、だめかも……」 「キミのそのレンズは、大事な撮影には使えないね」 「うん、使えないね」 「純正レンズにしておけばよかったのさ」 「Canon EF17-40mm F4L にしておけば、問題はなかったのかもしれない……」 「安物買いの銭失いだね」 「安物ではないと思うけれど、余計な時間とお金を失ったかもしれない」 「白飛びの原因に気がつかないのは、キミが間抜ということさ」 「修理済みで戻ってきたから、思い込みは恐いね」 「つべこべ言わずに、修理の依頼をしたほうがいいよ」 「うん、でも修理してもムダかもね」 「この際、そのレンズは捨てて、買い換えたほうがいいのでは?」 「捨てるのは惜しいけれど、新しいのを買うほうが安心かもしれないなぁ」 「好きなレンズなら、何度も何度も修理すればいいじゃないか」 「修理はしてみるけれど、何度もというのは……」 うーん、修理すると別の故障が起こるというのでは、 修理にかける時間もお金もサンク・コストだろうか……。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、白飛び、撮影失敗 昨年(2006年)末、修理から戻ってきたレンズで撮影していた。 思い起こせば、何度も原因不明の白飛びを起こすことがあった。 白飛びが起きる度に、露出補正をして撮影をしていた。 光量や色などの条件で露出調整がうまく働かない現象だと思っていた。 絞り解放付近だと白飛びが起きにくかったので、 いつの間にか解放側で撮るようになっていた。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC には、絞り可変リングがついていない。 カメラ・ボディ側のダイヤルを回して、絞り値を変える機構になっている。 修理後にレンズをボディにつけ、カメラ側のダイヤルを回すと、 ファインダー内に表示される絞り値の表示が変わるのを確認していた。 「修理されたレンズは故障していない」という思い込みがあった。 ストロボが同調しなかったことから、いろいろと調べ、試した末、 SIGMA レンズの露出連動機能が働いていないということがわかった。 カメラとボクは、設定した絞りで撮影していたつもりでいた。 だが、レンズは設定した絞りに反応しないまま、ずっと絞り開放でいたわけだ。 ボクは、修理されたレンズを疑うことができなかった……。 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC 、使用感 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC は使い始めて2年、お気に入りのレンズだった。 寄れる広角ズーム、通しF2.8 の明るさ、シャープな描写、室内撮影もいけた。 小型&軽量は1日中持ち歩いても体が疲れにくく、散歩の邪魔にもならなかった。 Canon EF17-40mm F4L と迷った末、 描写と小型軽量、レンズの明るさ、価格を決め手にSIGMA を選んだ。 この選択に悔いはなかったが、2度の交換と、その後1回修理があった。 交換依頼をするために販売店に足を運び症状の説明にかけた時間や、 修理依頼の際の説明、修理に預けた期間は撮影できなかった……など、 もろもろの手続きに伴う煩わしさを考え合わせると、手の掛かる1本になってしまった。 これほど故障さえしなければ、 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC ならではの使い勝手は魅力的だった。 惜しい……。 ちなみにSIGMA のサポートは丁寧なので、修理に関しては問題ない。 故障すれば、そのたびメーカーに修理を依頼すればいい。 とは言うものの、不具合が起こるたびに、がっかりするのは人情である。 撮影したいときに修理に出ていて手元にないレンズは、 文字通り「使えないレンズ」!? 仮に、Canon EF17-40mm F4L を購入していれば、 このようなムダな時間を掛けずに済んだのかもしれない。 (いや、これ以上、過去に拘っても仕方がない。) ただ、今回の故障が、ストロボ撮影の方法やレンズを選ぶ際の考え方などを、 改めて考えることができたのは、よかったのかもしれない。 ※念のため、SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC について、 誤解のないように、蛇足を書いておく…… ・ボクの所有する個体が故障したことは事実だが、他の個体が同様に故障するわけではない。 ・普段使いでは写りのいいレンズなので、選ばない方がいいとは言わない。 ・故障したら修理すればいいと考える。 ・今後も修理がうまくいけば、普段の撮影には使うつもり。 ただし、失敗したくない大切な撮影には、ボクは使うつもりがない。 Canon EOS-Kiss DN ファインダー2007年04月05日(木)07:00
![]() 撮影 : Canon EOS-Kiss DN / SIGMA AF18-50mm F2.8 DC EX ピントが合わせが気になる今日この頃である。 そして、応急処置というか対症療法のようであるが、 オリンパスのマグニファイヤーアイカップ ME-1 を取り付けた。 ![]() 撮影:RICOH GR Digital 見えにくさは、だいぶ緩和された。 ……というか、ボクの感覚ではいい感じ。 Kiss デジの利用者はご検討されてはいかが? ネットでは、既にKiss デジのユーザーで使っている人も少なくないようだ。 Kiss デジの他にも、いろいろなデジタル一眼レフに取り付けられるようなので、 ファインダーが見えにくいなぁと思っている人は、使えるかどうかを調べてみる価値アリだと思う。 カメラ店で、Nikon D80 のファインダーを覗いたとき、 (あ〜、いいなぁ。でも今さらNikon に戻るのもなぁ……)と思い、 見なかったことにしたとき以来の心の隅の引っかかりは、とり敢えず水に流そう。 再考! MF でピント合わせすることが減った原因は何だったのか デジタル一眼レフのAF は速くて便利だなぁ……と感心したのは、 一体いつのことだったのだろう。 思い起こしてみると、Kissデジとコンビに選んだSIGMA AF18-50mm F2.8 DC EX は、 MF 操作すると後ピンで、交換することになった。 MF でピントを合わせることが少なくなったきっかけは、 まさにそれが原因だったと思う。 ボクもカマスやノミと一緒なのだなぁ、と思ったのだった。 というのは、何度も挑戦しても無理だという状況に長期間に亘って置かれると、 可能な状況に移されても、挑戦しなくなってしまう実験を思い出したから。 たしか、カマスとノミの実験だったと思う……。 カマスの実験では、水を張った直方体の水槽の中央を透明な板で仕切り、 片方にカマスを、もう片方に餌の小魚を入れて様子を見る。 カマスは小魚を食べようと何度も突撃を試みるが、透明板にぶつかってしまう。 そのうち小魚を食べようとしなくなり、その後透明な仕切り板を外しても、 もはや小魚を食べようとすることなく餓死してしまう……。 (確かそんな話だったと記憶しているが、カマスじゃなかったかもしれないし、 そんな実験ではなかったかもしれないなぁ……曖昧な記憶だなぁ。) ノミはジャンプ力が30cm ほどもあるが、 これまた長期間に亘って10cm 程度の高さに天井の仕切りを下げると、 10cm ほどしか跳躍しなくなり、その後は天井板の高さを上げても 本来の30cm まで跳ね上がる能力があるのに、10cm しかジャンプしなくなる! (フムフム、確かそんな話だったと記憶しているが……。) というわけで、何事もできないと思いこまずに挑戦を続けることは大切だと反省。 新型 Canon EOS-Kiss が欲しい 赤い彗星・シャア専用機があるように、 Canon の子ども撮り・ママ専用機は、EOS-Kiss だろう。 明確なコンセプトと、そのマーチャンダイジングの経緯と実態とを考えれば、 MF を殆ど諦めて AF 利用が正解だと割り切れば、何ら悩む必要はないのだろう。 Canon EOS-Kiss DN は、コンパクトで軽く、かさばらず、 気軽に持ち歩くことができて便利なことこの上ない。 「ファインダーに不満があるなら、上位機種がありますよ」というのもわかるが、 ママだってファインダー覗いて綺麗に見えた方が気持ちいいと思うよ、きっと。 頑健で重いプロ用機器には憧れないので、多少高価でもコンパクト高性能な ジム(量産型?)ではないガンダムみたいな EOS-Kiss ZD とかなんとか、 シグマとかラムダとかゼータとか名前は何でもいいけれど、作ってくれないかなぁ。 手ぶれ補正とか連写機能とか、ダストリダクションとかはそこそこでいいから、 水陸両用型ならぬ、ママ・パパ納得両用の、 スムースなレンズの駆動でバッテリーが長持ち、 マグネシウム合金とかカーボンとかグラファイトなどの素材で軽量かつ剛性ボディ、 ついでにファインダー見やすく、フルサイズの……。 ああ、それなら Canon EOS-5D をコンパクト&軽量化してくれればいいのか!? どちらでもいいけど EOS-Kiss DX じゃなくってサ……。 サクラ2007年04月02日(月)07:00
![]() 撮影: Canon EOS-Kiss DN / Canon 70-300mm 4.5-5.6 DO IS USM 4月1日の夕方、散歩がてらカメラを持ち出してサクラを撮った。 家を出るとすぐに、太陽が西の空の雲に隠れ、風が吹き始めた。 河原の土手に着く前に、道路脇のサクラが花びらをハラハラと散らせていた。 暗雲の鈍色(にびいろ)はいよいよ濃く、風は木立の枝をわさわさと揺すった。 IS 付きレンズは手ぶれを軽減するが、サクラの枝揺れを止める術は持たない。 ボクは三脚を立てながら(三脚立てても仕方ないなぁ)と思い、 三脚は(風には耐えるけれど、相手が動いてはねぇ)と言いたげだった。 30回ほどシャッターを切ったところでパラパラと雨粒が落ちてきた。 撮り始めて20分ほどだったが、もう十分だと思った。 雲台からカメラを外し、歩きながら三脚をたたむと、 小粒の雨に急かされるように家に帰った。 案の定、全ての写真がぶれていた。 ボク以外、三脚もレンズもボディも、みんなよくがんばった。 ![]() (来年もサクラを見れるといいねぇ) 人々はそれぞれに想いを込めて、今年のサクラを見ることだろう。 『モルヒネ 』2007年04月01日(日)10:51
書名:『モルヒネ 』/ 祥伝社文庫
著者:安達千夏 ( Adachi Chika ) 版元:祥伝社 価格:¥570 好み:★★★★☆ ![]() 本書から得られるもの 病と死とは、人が自然の一員であるわかりやすい証拠。 痛くて、後味が悪い 本書中、ちりばめられた所々の描写や会話に、 捻り切られた金属に反射する鈍い光や、濁った川面の燦めきを感じる。 読後感は、痛くて後味が悪い。 これを読んで泣ける人は健全なのか。 自分の心当たりから泣けなかった人も、 今までどおり生きることをやめないでほしいと願う。 (きわめて自己完結的感想である) オビには「究極の恋愛小説」の文字があった。 惹句を書いたのは誰だろう。コピーライターか、それとも編集者だろうか。 いろいろ推察した上で恋愛小説としたのだろうか。 それとも「泣ける恋愛小説」の枠で行こうとしたのか。 自分自身から自由でいる人生…… 「だが、もし、生きてあることそれ自体が苦しみであるなら、 医師は、どのようにしてその患者の力になればいいのだろう。」 という一節があった。医師の使命と患者の絶望の乖離は救いがない。 同じ舞台に上がる役者同士の間に成り立つような一節だが、 希望を持たない人に、どうして希望を持たせることができようか。 死者と心中し続けているとか、望んで命を絶つ日がいつか私に訪れるだろうか、 などといった心情を聞かされる身は、救いがないだろう。 答えは無数にあるのかもしれないし、正解は何一つないのかもしれない。 登場人物・ヒデの行動を不可解に思ってみた場合と、 ヒデの行動は目的に適った行動であると思ってみた場合とでは、 本作の捉え方はだいぶ違ってくる筈だ。 それにしても、人はどうして自分自身から自由になれないのだろうか、と思う。 捨てれば済む「がらくた」を持ち続ける人の心にあるものは何だろうか。 躓いたら拘りを捨て前を向き、自分自身に問うて再び歩み始める人もいる。 端からはそう見えても、実際は表裏一体なのだろが、 そもそも自分自身からでさえ自由でいたいという渇望は「がらくた」なのだろうか。 |
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